「一人になりたい」

4人の子どもと、夫と、祖父母と暮らしていると、本当に一人になれる瞬間がほとんどない。末っ子はべったりだし、上の子たちは上の子たちで何かあって声をかけてくる。

それでも時々、ふと「一人でどこかへ行きたい」という気持ちがわき上がってくる。

以前はその気持ちを「逃げたいだけだ」「こんなに良い家族がいるのに」と自分で責めていました。でも最近ハマっている精神科医・名越康文さんのYouTubeで、「一人旅をしたくなる」という感覚の奥にあるものを教えてもらいました。

「一人になりたい」は逃げじゃない。自分の中の何かが、補完を必要としているサインだった。

 

「一人旅」には「出会い」という目的がある

名越先生は、一人旅に出たくなる動機について、こんな仮説を立てていました。

「一人旅に出るのは、出会うためではないか」

今の生活圏の中で、自分を完全に補い合える対話の相手が見つからないとき、あるいは「手の届かない憧れ」のようなものに触れたいとき、人はその出会いを求めて一人旅という戦略を取る——というのです。

これを聞いて、「確かに」と思いました。

「どこかへ行きたい」という気持ちの奥には、単なる現実逃避じゃなくて、「今の自分には足りていない何か」への希求があるのかもしれない。その「何か」を探しに行くのが、一人旅の本質なのかもしれない。

そう思ったら、「一人になりたい」という気持ちが、少し違う色に見えてきました。

孤独の中で出会うもの①「自分自身」

名越先生は、一人旅の歴史的な意味について語るとき、空海などの宗教家を例に挙げていました。

「かつての偉大な宗教者たちも、一定期間山に入ったり一人旅をしたりすることで、自分自身を確立させてきた。これは、日常生活から離れることで初めて得られる自分との出会いだ」

誰にも邪魔されない環境で自分と向き合い、自分の身の回りの世話を自分でやる。その積み重ねの中で、自分という人間がより鮮明に見えてくる。

私が最後に一人旅をしたのは、もう何年前か思い出せないくらいの昔のこと。22歳で長女を産んでから、ほとんどずっと誰かと一緒にいます。それが嬉しいことでもあるけれど、「自分が何者か」を一人で静かに確認する時間は、確かにほとんどない。

名越先生の言葉を聞きながら、「そうか、私がたまに感じるあの『どこかへ行きたい』という気持ちは、自分を再発見したいという声なのかも」と思いました。

孤独の中で出会うもの②「補完し合える対話の相手」

名越先生が語っていた一人旅の目的のもう一つの側面が、特に面白かったです。

「今の生活圏の中にはいない、補完し合える誰かと出会うために旅に出ることがある」

日常の人間関係は、どうしても「役割」で成り立っています。お母さんとして、妻として、娘として。その役割の外にいる自分、つまり「ただの私」として誰かと出会い、対話できる相手は、日常の中にはなかなかいない。

一人旅という不確実な状況の中では、普段は手の届かない「憧れ」のようなものと、一瞬でも一体になれるような出会いが起きる可能性がある、と名越先生は語っていました。

これ、感覚的にすごくわかります。旅先で全然知らない人と話すとき、「ただの私」として話せる気がする。向こうも私を「お母さん」としてではなく、一人の人間として見てくれている感じがする。

日常に戻るとその感覚はまた薄れるけれど、「ただの私」でいられた時間の記憶は、日常の中でじわじわと自分を支えてくれる気がします。

孤独の中で出会うもの③「長いスパンの情緒」

一人でいる時間に触れるものの三つ目として、名越先生が語っていたのが「情緒」です。

情緒の育て方についての記事でも書きましたが、名越先生は「感情」と「情緒」を区別しています。SNSやスマホの中で揺れ動くのが「感情(短いスパン)」、自然や古典的な芸術に触れたとき静かに流れるのが「情緒(長いスパン)」。

一人でいる時間は、外からの刺激が減って、この「長い情緒」に触れやすくなります。竹林を歩きながら「去年の枯れ葉が土に還っていく」様子を眺める。海を見ながら、人間の一生なんてちっぽけだと感じる。そういう時間です。

4人の子育てをしていると、「長いスパン」で物事を考える余裕が本当にない。1日単位、ときには1時間単位で何かが起きて、そこに対応している。孤独な時間を持つことは、そのリズムをいったんリセットして、もっと大きな時間軸に自分を置き直すことでもあるんだと思いました。

「ひきこもり」も一種の一人旅だった

名越先生の話の中で、意外な視点として印象に残ったのが「ひきこもり」についての考え方でした。

「ひきこもりも、ある種の一人旅や自分探しの現れとして見ることができる」

社会の中で「弱い存在」と見なされていた人が、一人で過ごす環境に置かれたとき、驚くほど逞しく自給自足的な生活を送り、自分自身の強さに出会うことがある。

また、「社会に適応できないのではなく、一人で進むことや開拓者的な生き方が本来の性質に合っている人が、孤独の中で自分にふさわしい居場所を見出すケースがある」とも名越先生は語っていました。

この視点は、当事者だけじゃなく、周りにそういう人がいる家族にとっても、見方が少し変わるような気がしました。「逃げている」じゃなく、「自分の居場所を探している途中」かもしれない。

うちにも中2の長男がいて、たまに部屋から出てこない日があります。以前は「また閉じこもって」と心配が先に立っていたけれど、「自分を整えている時間なのかも」と思えるようになってきました。完全に受け入れられているかというと正直まだそうじゃないけれど、見方の幅が広がった気はします。

孤独は「満足を覚えるための情緒を育む時間」

名越先生は、一人の時間をこう表現していました。

「孤独を味わい、満足を覚えるための情緒を育む時間」

「孤独=寂しくてつらいもの」という固定観念が、私にはどこかありました。一人でいること=何かが欠けている状態、みたいな。

でも名越先生の言い方だと、孤独は積極的に「味わう」もの。その孤独の中に、満足感の源がある。孤独を恐れるんじゃなくて、孤独の時間に何が育つかを知っていれば、一人の時間の質がまるで変わる。

子育て中の「一人になれない状況」を嘆くより、わずかな一人の時間を「味わう」ものとして捉え直す。それだけで、15分の散歩がぜんぜん違うものになる気がします。

今すぐ一人旅に出られない私がやっていること

一人旅には気軽に出られない私ですが、名越先生の話を聞いて変わったことが一つあります。

「一人になりたい」という気持ちを、責めなくなった。

それはわがままでも逃げでもなく、「自分の中の何かが補完を必要としているサイン」だと思えるようになったから。そのサインに気づいたら、できる範囲で一人の時間を作るように意識しています。

末っ子のお昼寝中にぼーっとする15分。早朝に祖母に任せて出る30分の散歩。長女が学校に行ってしまった静かな朝の台所で飲むコーヒーの10分。

どれも「一人旅」とは呼べないような小さな時間だけれど、名越先生が言う「自分と出会い直す時間」として意識して過ごすようにしたら、同じ時間が少し違うものに感じられるようになってきました。

そして、その小さなひとり時間を積み重ねることが、情緒を育てることにも繋がっているんだと今は思っています。

まとめ

「一人になりたい」は逃げじゃない。自分と出会い直したいサインであり、補完してくれる何かを探しているサインであり、長い情緒に触れたいというサインでもある。

名越先生の言葉を聞いてから、その気持ちを責めることが減りました。そしてわずかなひとり時間を「孤独を味わう時間」として意識的に使うようにしたら、同じ15分が少し豊かになりました。

一人旅に出られなくても、日常の中にちいさな孤独の時間を作ることはできる。その積み重ねが、じわじわと自分を変えていく。そう信じながら、今日も早起きして散歩に出てみます。

名越先生のYouTubeシリーズ、他のテーマもまとめています。合わせて読んでもらえると嬉しいです。

名越康文さんの著書もチェックしてみて

YouTube以外でも、名越先生の考え方をもっと深く知りたい方に。先生の著書もとても読みやすくておすすめです。